陸軍伊良湖試験場 福江(畑)観測所(渥美半島の戦争遺跡6)(2024 伊良湖岬の旅)

伊良湖試験場の弾道観測所の1つであった福江(畑)観測所は、田原市教育委員会のパンフにかなり原形をとどめている写真が掲載されていて、行ってみようと思っていた。 しかし、土地勘のない時間旅行者にとっては場所を特定するすべもなく、パンフにある大まかな地図と福江(畑)という地名をたよりに、田原市渥美支所あたりだろうと検討をつけていた。 …
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一色機関銃陣地跡(渥美半島の戦争遺跡7)(2024 伊良湖岬の旅)

伊良湖射場とその関連施設は日露戦争を機に整備され、太平洋戦争の終わりまで使われた施設だが、他に渥美半島には太平洋戦争終末期の本土決戦のための軍事施設がいくつもあったようだ。 限られた資料からアメリカ軍上陸を想定した日本軍の陣地の位置図を作ってみた。二川の髙山に指揮所をもうけ、その背後に兵站補給所を配置し、渥美半島の海岸にそって陣地…
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陸軍伊良湖試験場 (渥美半島の戦争遺跡4)(2024 伊良湖岬の旅)

伊良湖試験場は正式には陸軍第一技術研究所伊良湖試験場と言い、大阪砲兵工廠で製造された砲弾や外国から捕獲した砲弾の試射を行い、性能試験を行うところであった。 大砲の砲弾を実射するのであるから、敷地面積285万坪という広大な面積を有していた。渥美半島の西端の砂州全体が敷地である。 北端には事務所と発射場があり、南端の伊良湖岬をめがけ…
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柳田國男が伊良湖岬で見た風景 (2024 伊良湖岬の旅)

今回の旅の本当の目的は、柳田國男が伊良湖岬で見た風景を探す旅であった。 柳田國男が伊良湖岬を旅した時、偶然にも椰子の実が漂着しているのを見つけ、東京に帰って島崎藤村にこの話をしたので、「椰子の実」の詩ができたという。 明治31年 田山花袋らと伊良湖岬に遊ぶ。柳田24歳 明治33年 農商務省の役人となり、 明治35年 …
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陸軍伊良湖試験場 外浜観測所(渥美半島の戦争遺跡5)(2024 伊良湖岬の旅)

小中山から発射された砲弾が伊良湖岬から先の太平洋に着弾するのを観測していたのが外浜観測所である。 田原市教育委員会の資料によると、「日出園地を降り切った海岸にある」と書いてある。グーグルマップで探索してみるがどうもよくわからない。日出海岸を散歩していた地元の人に聞いてもよくわからなかった。 日出海岸には日出の石門という海蝕洞窟が…
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伊良湖水道機雷封鎖監視所(伊良湖防備衛所跡)(渥美半島の戦争遺跡3)(2024 伊良湖岬の旅)

太平洋戦争末期に本土決戦に備えて、米軍の上陸を阻む伊良湖水道を機雷封鎖するための作戦所がつくられた。その遺構が残っている。残っている建物の基礎コンクリートから推測すると20mX10mほどの規模はある。 平成2年に元伊勢海軍防備隊員有志によって建てられた伊良湖防備衛所跡の記念碑がなければ、ここがその遺構であるとは気がつかない…
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戦闘機「銀河」のエンジンとプロペラ(渥美半島の戦争遺跡2)(2024 伊良湖岬の旅)

帝国海軍の双発爆撃機「銀河」のエンジンとプロペラが残っているというので探してみる。事前調査によると、渥美漁協田原事務所の一角に保管されているはずだった。現地に行ってみるとそれらしいものはどこにも見当たらず、半分あきらめかけた。しかし、幸いなことに漁協が営業時間中だったので事務所で尋ねてみると、移設されたようだ。移設場所の地図と簡単な解説…
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大東亜戦争動員学徒忠霊碑・大東亜戦月光墜落慰霊碑 (渥美半島の戦争遺跡1)(2024 伊良湖岬の旅)

今回の旅は、柳田國男の民俗学の源となった伊良湖岬を訪ねる旅だったが、渥美半島には、太平洋戦争の戦争遺跡がかなり残っていることがわかったので、あわせて探訪することにした。 大東亜戦争動員学徒忠霊碑 豊橋から出発して、まず行ったのは大東亜戦争動員学徒忠霊碑だ。1945年の終戦前日に、渥美線田原駅を出発した電車が、神戸駅と豊島駅の…
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「遊海島記」を読む(2024 伊良湖岬の旅)

柳田国男の「海上の道」には、椰子の実の話が出てくる。彼が伊良湖岬に行ったとき、偶然にも椰子の実が漂着しているのを見つけ、東京に帰って島崎藤村にこの話をしたので、「椰子の実」の詩ができたという。ではいつ、伊良湖岬に行ったのだろうと調べると、明治31年に田山花袋らと伊良湖岬に遊ぶとある。柳田24歳 明治33年に農商務省の役人となり、明…
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玉比咩神社の巨石を訪ねる

岡山県にある玉比咩神社の巨石は以前から気になっていた。 岡山駅からレンタカーで児島湾大橋を渡り、宇野方面を目指す。連絡船のあった宇野は宇野市でなく、玉野市であったのは実は今まで知らなかった。 宇野から玉野隧道を越えて玉の集落に入る。玉の地名は玉比咩から来ていることは明らかである。狭い集落の坂を下るとT字路の正面に鳥居と巨石が突然…
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狭山池と狭山池博物館に行く

仕事柄、狭山池はもっと早く行っていくべきところだったが、公共交通でのアクセスが悪く行きそびれていた。青春18きっぷ4回目を利用して、富田林の寺内町とセットで行くことにした。寺内町を手ばやに済ませたのち、駅前からレンタカーで20分程のつもりが、道路事情が悪く渋滞で40分程かかってしまう。 堤体の上に無料駐車場があり、そこから遠望する…
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神倉神社で朝日を拝む 古代太陽信仰の痕跡(2023 熊野紀行)

今回の熊野旅行の一つの目的は神倉神社で朝日を拝むことだった。 神倉神社の近くに宿を取り、日の出の時間に合わせて出発する。国道から磐座が見えるのだが、神社の入口は住宅地の中に奥まっていてわかりにくい。 境内に入ると目の前に階段が現れる。これこそ磐座へ登る538段の石段だ。 最大傾斜度45度ともいわれていて、振り返ると…
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「産田神社」と「花の窟」から古代人の生死観を思う

花の巌には以前行ったことがあるが、産田神社のことは全く知らなかった。花の窟は実は神社といいながら、イザナミノミコトの墓所と言われているのに対し、産田神社はイザナミノミコトがカクヅチノミコトを生んだ所と言われている。 今回は、まず産田神社に参り、そのあとに花の巌に行くことにした。 産田神社は有馬集落の山手の奥まったところにある。 …
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トキワ荘に行って、松葉でラーメンを食べる

昭和30年代にマンガを読みふけった僕たちは、トキワ荘という文化住宅はある意味で聖地だ。そこは多くの夢を持ったマンガ家たちが集まり、夢を生産し、僕たちに夢をもたらした場所だからだ。 手塚治虫、石ノ森章太郎、赤塚不二夫、藤子不二雄、水野英子、寺田ヒロオ 少年サンデー、少年キング、少年マガジン、少女フレンド、マーガレット …
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高知海軍航空隊の遺構を訪ねる(その5)練習機「白菊」空中衝突事故慰霊碑 (2023 南国市戦争遺構)

いよいよ、南国市戦争遺構を巡る旅も終わりに近づいた。練習機「白菊」空中衝突事故慰霊碑にお参りして旅を終えることにする。高知空港から北へ5kmほど離れた農村地帯に建っている。かなり大きな慰霊碑で、そばに航空兵のモニュメントも添えられている。 碑文によると、昭和19年10月に高知海軍航空隊練習機「白菊」2機が練習中に空中衝突し墜落…
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高知海軍航空隊の遺構を訪ねる(その4)物部/蔵福寺島 海軍トーチカ (2023 南国市戦争遺構)

物部川沿いには海軍のトーチカが2つ残っているというので探してみる。 物部トーチカ 高知海軍飛行場の近く、堤防の内側に夏草に埋もれてあった。 鎌を持ってくればよかったとか思いつつ、撮影のため足で夏草をなぎ倒す。何をやっているのかと苦笑いする。 機関銃を据えて米軍のグラマンを射撃したと言われているが、やっと一人が…
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高知海軍航空隊の遺構を訪ねる(その3)高知海軍指揮所跡・航空隊通信所跡(2023 南国市戦争遺構)

広大な高知海軍航空隊の飛行場は、戦後に高知竜馬空港と高知大学などの敷地になった。 その高知大学の敷地内には高知海軍指揮所と航空隊通信所が残っている。 どちらも自由に立ち入りることはできない。 高知海軍指揮所は高知空港の外周道路からかろうじて見ることができる。 フェンスの隙間から覗き込むとかまぼこ型の大きなコンクリート…
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高知海軍航空隊の遺構を訪ねる(その2)高知海軍航空隊之碑(2023 南国市戦争遺構)

高知空港の周辺には、高知海軍航空隊の戦争遺構が多く残っている。 遺構というよりは鎮魂碑である高知海軍航空隊之碑が高知空港の南端にある。 この碑に記された碑文により神風特別攻撃隊菊水部隊白菊隊のことを我々は知ることができる。 もともと練習機としてあった白菊であるが、特攻隊として編成され、九州鹿屋基地から沖縄作戦に…
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日章開拓記念碑(2023 南国市戦争遺構)

高知空港の外周フェンスのすぐそばに、高知海軍飛行場建設により消滅した三島村の歴史が刻まれた日章開拓記念碑がある。まさしく現地に建立された碑であるため、書籍の記録を読むのでなく、ここに立ち碑文を読むと、ふるさとを失った人々のやるせない思いが伝わってくる。 読むと5分もかからない碑文であるが、専門外の方にはそのいきさつがわ…
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高知海軍航空隊の遺構を訪ねる(その1)前浜掩体壕群 (2023 南国市戦争遺構)

高知竜馬空港はもとは高知海軍航空隊の飛行場であったところだ。 1941年に農地220haを強制接収して飛行場が作られ、士官160名、兵員3660名、練習機「白菊」55機が配置され、飛行訓練が行われていたが、戦争末期には「神風特攻隊 菊水部隊白菊隊」が結成され26機が出撃し52名が戦死した。 その遺構がかなり残っていることがわかったの…
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