旗振り山 のこと
旗振り山というのは、
大阪堂島の米相場を各地の取引所に伝えるため
享保(18c)ころから明治後半の電話が普及するまで、
大きな旗を振って通信した見通しのきく山のことだ。
この各地の旗振り山のことを書いてある本を、偶然見つけて読む。
旗振り櫓
各地に旗振山、旗山、相場振山、畑山などと残っているのは
その中継地点であるという。
神戸では、須磨に「旗振山」があり、まさしくその地である。
確かに鉢伏山の峰は周囲に視界の利く場所だ。
諏訪山や高取山もそうらしいが明確な記録が無いようだ。
昭和9年(1934)浪花町に移転する前の
神戸株式取引所(五郎池)の古いドームが
現在の少年鑑別所のところにあり、
昭和40年ころまで
残っていたのを覚えている。
あのころでも、ここから十分に諏訪山が見通せたので
探せば何か記録が残っていそうである。
また、ベレー帽のターゲットが増えてしまった。
旗振通信の方法は
畳1畳くらいの旗を振り回して
それを望遠鏡で見て、各地で中継し、
米、油、株式、金銀相場を通信した。
通信速度は
堂島→
和歌山 3分、京都 4分、大津 5分、神戸 7分、広島 40分
らしいから、交換を通した初期の電話より早いかもしれない。
ちゃんと他者に知られないよう暗号化や
正確化のための、いわゆるパリティも行われていた。
現代のインターネットをほうふつとさせる。
だとすると旗振り山は、サーバーといったところか。
正確な情報をだれより
いち早く手に入れたいというニーズは
何時の時代でも、どこの国でも同じで
フランスでも19c後半、腕木通信機が考案されている。
腕木通信
その後、有線電信、無線電信と受け継がれる。
通信システムの根源的な部分は
たいして変わっていない。

旗振り山と航空灯台 - 柴田 昭彦

腕木通信: ナポレオンが見たインターネットの夜明け 改訂版 (FLoW ePublication) - 中野明
大阪堂島の米相場を各地の取引所に伝えるため
享保(18c)ころから明治後半の電話が普及するまで、
大きな旗を振って通信した見通しのきく山のことだ。
この各地の旗振り山のことを書いてある本を、偶然見つけて読む。
旗振り櫓
各地に旗振山、旗山、相場振山、畑山などと残っているのは
その中継地点であるという。
神戸では、須磨に「旗振山」があり、まさしくその地である。
確かに鉢伏山の峰は周囲に視界の利く場所だ。
諏訪山や高取山もそうらしいが明確な記録が無いようだ。
昭和9年(1934)浪花町に移転する前の
神戸株式取引所(五郎池)の古いドームが
現在の少年鑑別所のところにあり、
昭和40年ころまで
残っていたのを覚えている。
あのころでも、ここから十分に諏訪山が見通せたので
探せば何か記録が残っていそうである。
また、ベレー帽のターゲットが増えてしまった。
旗振通信の方法は
畳1畳くらいの旗を振り回して
それを望遠鏡で見て、各地で中継し、
米、油、株式、金銀相場を通信した。
通信速度は
堂島→
和歌山 3分、京都 4分、大津 5分、神戸 7分、広島 40分
らしいから、交換を通した初期の電話より早いかもしれない。
ちゃんと他者に知られないよう暗号化や
正確化のための、いわゆるパリティも行われていた。
現代のインターネットをほうふつとさせる。
だとすると旗振り山は、サーバーといったところか。
正確な情報をだれより
いち早く手に入れたいというニーズは
何時の時代でも、どこの国でも同じで
フランスでも19c後半、腕木通信機が考案されている。
腕木通信
その後、有線電信、無線電信と受け継がれる。
通信システムの根源的な部分は
たいして変わっていない。

旗振り山と航空灯台 - 柴田 昭彦

腕木通信: ナポレオンが見たインターネットの夜明け 改訂版 (FLoW ePublication) - 中野明
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