鐸比古・鐸比賣神社 と 柏原大県製鉄遺跡 に行く
この9月に柏原市立歴史博物館を見学した折に、
大県の製鉄遺跡と、そのそばの
鐸比古・鐸比賣(ぬでひこ・ぬでひめ)神社のことが
とても気になっていたので、
行ってみることにした。
国道170号線の旧道、東高野街道に面して鳥居がある。
参道の入口は、前の国道170号線と同じくらい広い。
両脇は結構大きな構えの旧家が建ち並んでいる。
山裾の急な斜面に鎮座している。
手入れの行き届いた境内。
折りしも紅葉が美しい。
神社の縁起によると
「祭神は垂仁天皇(11)の子、鐸比古命(ぬでひこ)
もとはこの後の山の高尾山に祀られ、高尾大明神と称し、
鐸比賣命(ぬでひめ)は姫山に祀られ
雨乞いの神様であった。
祭神は和気清麻呂の遠祖でもあり、
和気神社にも、祀られているが
全国ではここと和気神社にのみ祀られている。」
ふうむ。。。
和気清麻呂との関係があるとはなかなか興味深い。
和気氏は当初、磐梨別公(いわなしわけのきみ)といい
鉱産や土木事業関連の氏姓である。
さらに、縁起の書いてある石碑に並んで
この高尾山からは「多紐細文鏡」(たちゅうさいもんきょう)という
全国でも7面しか出土していない青銅鏡が出土したと案内板がある。
「多紐細文鏡」はモンゴル、東北中国などの北方青銅器に出現し、
弥生時代に日本にもたらされた。
ここの鏡はそのうち日本最大のもの。
ふうむ。。。。
またまた、鉄器以前に、すでに青銅器時代に、
かなりの権力者がこのあたりにいたことになる。
となると、鐸比古は、鉄器以前の青銅器からの技術集団なのか?
鐸比古神社の境内から、西の大阪平野方面を望むが
宅地が密集し、はるか過去を思いやる余地はほとんどない。
しかし、確かにこのあたりには、古墳時代のころ
鉄器生産の大集落があった。
堅下小学校には、「大県遺跡」の説明看板が立ててある。
かなり目に付きにくいところにあるので、捜して見つけた。
今回のベレー帽行で分かったのは、
このあたりは、古代鉄器の一大生産地であり
大和川の水運を利用して、その原料や製品を各地へ運搬していたのであろう。
また、この柏原には1700基もの古墳があることから、
古代においては、かなりの人口密集地、
つまり農業でなく、
鉄器生産という工業を基盤にした
生活が営まれていたのであろう。
今も、少し路地を入ると、趣のある家屋が残る町である。
大県の製鉄遺跡と、そのそばの
鐸比古・鐸比賣(ぬでひこ・ぬでひめ)神社のことが
とても気になっていたので、
行ってみることにした。
国道170号線の旧道、東高野街道に面して鳥居がある。
参道の入口は、前の国道170号線と同じくらい広い。
両脇は結構大きな構えの旧家が建ち並んでいる。
山裾の急な斜面に鎮座している。
手入れの行き届いた境内。
折りしも紅葉が美しい。
神社の縁起によると
「祭神は垂仁天皇(11)の子、鐸比古命(ぬでひこ)
もとはこの後の山の高尾山に祀られ、高尾大明神と称し、
鐸比賣命(ぬでひめ)は姫山に祀られ
雨乞いの神様であった。
祭神は和気清麻呂の遠祖でもあり、
和気神社にも、祀られているが
全国ではここと和気神社にのみ祀られている。」
ふうむ。。。
和気清麻呂との関係があるとはなかなか興味深い。
和気氏は当初、磐梨別公(いわなしわけのきみ)といい
鉱産や土木事業関連の氏姓である。
さらに、縁起の書いてある石碑に並んで
この高尾山からは「多紐細文鏡」(たちゅうさいもんきょう)という
全国でも7面しか出土していない青銅鏡が出土したと案内板がある。
「多紐細文鏡」はモンゴル、東北中国などの北方青銅器に出現し、
弥生時代に日本にもたらされた。
ここの鏡はそのうち日本最大のもの。
ふうむ。。。。
またまた、鉄器以前に、すでに青銅器時代に、
かなりの権力者がこのあたりにいたことになる。
となると、鐸比古は、鉄器以前の青銅器からの技術集団なのか?
鐸比古神社の境内から、西の大阪平野方面を望むが
宅地が密集し、はるか過去を思いやる余地はほとんどない。
しかし、確かにこのあたりには、古墳時代のころ
鉄器生産の大集落があった。
堅下小学校には、「大県遺跡」の説明看板が立ててある。
かなり目に付きにくいところにあるので、捜して見つけた。
今回のベレー帽行で分かったのは、
このあたりは、古代鉄器の一大生産地であり
大和川の水運を利用して、その原料や製品を各地へ運搬していたのであろう。
また、この柏原には1700基もの古墳があることから、
古代においては、かなりの人口密集地、
つまり農業でなく、
鉄器生産という工業を基盤にした
生活が営まれていたのであろう。
今も、少し路地を入ると、趣のある家屋が残る町である。
この記事へのコメント
神を祭る金山彦神社と金山媛神社が
ありますね。