和気清麿呂 一族の地を訪ねる(和気神社)
この碑は、JR山陽線の車窓から、
結構よく見えるところに立っていて、
気にはしていたが、何の顕彰碑かは分からなかった。
車で寄り付くのには、
集落の奥まったところに立っていて、
細い農道を通るので難儀する。
「和気清麿呂公碑」とあるが
紀元2600年を記念して建てられたもので、
これ自身はあまり面白くもない。
興味深いのは、この地の地名が「大政」(たいまん)といい
古代の国衙、郡家のあとの可能性が高いこと。
近所には古代駅(うまや)を示す「尺所」や「飼葉」といった地名があり
古代山陽道がこのあたりを通っていたことが推測される。
そのような目で見ると、
何の変哲もない田舎の風景が
狭い曲がりくねったたんぼ道が、
また変わって見えるから面白い。
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近くに「和気神社」があるので、立ち寄る。
きれいに整備された境内で、
地域に愛されている神社であると分かる。
狛犬の代わりに、猪があるのが面白い。
「道鏡事件」の際に、清麿呂が猪300頭に守られ
「宇佐神宮」まで行った古事に由来するらしい。
猪というのは、多分、清麿呂を支援した人間であろう。
たしか、淡路の「先山神社」も猪だった。
祭神は「和気一族」で垂仁天皇(11)の皇子「鐸石別命」(ぬでしわけのみこと)とある。
昨年、行った柏原の「鐸比古・鐸比賣神社」にも「鐸比古命」(ぬでひこ)があり、
「鐸」(ぬで)というのはどうも鉱山、土木系の技術集団のようだ。
あちこち、旅をしていると、思わぬところで、
色々なつながりが発見できて面白い。
和気清麻呂が摂津大夫のとき、
788年には、河内、摂津の境に大規模な治水、利水工事を行った。
これは、いまのどのあたりなんだろう。
調べてみたいものだ。
796年には、備前からの鍬鉄の租税を軽減した。
和気清麻呂の本姓は磐梨和公(いわなしわけのきみ)
これらからも、鉱山・土木系の技術集団のにおいがする。
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和気神社には、興味深い絵馬がいくつかあったので記録する。
日露戦争戦勝記念
九尾の狐
何かの物語を題材にしていると思うが、知らない。だれか教えてください。
戦記物
何の戦いなのか?
あと、大きな神社によくある「さざれ石」
ここのは、結構きれいで大きい。
学名「石灰質角礫岩」というようだ。
雨水で溶解された石灰岩の溶液が
その辺りにあったの礫を凝結したものらしい。
確か、諏訪神社、伊勢神宮(外宮)にもあった。
礫の多いセメントのようであるが。。。。
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和気清麿呂のことは、今まであまり知らなかったが
「道鏡事件」「平安遷都」に深く関わり、solition?した、
優秀な当時の官僚だったことを今回の旅で知った。
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(拾遺)
Iwaさんのお教えにより、道鏡事件に至るまでを整理した。
ここで淡路以来、気がかりだった「淳仁天皇」の歴史的意味が解明した。
淡路 淳仁天皇陵 2004.4探訪
757 淳仁天皇(47) (758-764)
藤原仲麻呂の長男の妻を妃とする
藤原仲麻呂 平城遷都(紫香楽宮より)、大仏建立推進 養老律令
764 藤原仲麻呂の乱
孝謙天皇が道鏡を寵愛しはじめたのに危機感を抱く
クーデター失敗 仲麻呂、高島で斬殺
淳仁天皇 廃帝 淡路 淳仁天皇陵
道鏡 志紀郡弓削
孝謙天皇(46)
女帝(764-770) 仏教擁護、東大寺大仏 建立推進
称徳天皇(48) 孝謙天皇 重祚
769 道鏡事件
こののち、天皇は天武天皇(40)系から天智天皇(38)系へ移る。
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天武天皇 (大海人皇子)
壬申の乱(672)で大友皇子に大勝
これを期に天皇の権威が強まり、律令体制ができる。
栄枯盛衰といったところかな。
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