明延1円電車と坑道探検 に行ってみる
かつて、明延鉱山には、鉱石を運ぶ専用軌道があり、
それに従業員も1円で乗車していた。
昭和58年に乗れる機会があったが、
その後、閉山となり、果たせないままであった。
今回、その1円電車を動態保存しているので行くことにした。
明延郵便局前の広場に軌道が敷かれてあって、
バッテリーカーでかつての客車?を牽引している。
当時のものは、くろがね号と呼ばれる客車のほうである。
バッテリーカーは牽引車として新調購入したもの。
早速、1円を払って、(100円を払い99円は寄付)乗ってみる。
内部はこんな感じである。
広さは20人も乗ればいいほうではないだろうか。
本日は特別イベントで、1円電車の本を出版した、
岡本憲之氏の講演がある。
氏はナローゲージをジャンルにする鉄オタというか、
なんと、それを職業にされているつわものである。
興味深く拝聴する。
話の詳しくは本でということで、岡本氏に敬意を表しPRしておく。
くろがね号のほかにも しろがね号、あかがね号
わかば、がなどあったようだ。
いくつかはこのように残されている。
なんともかわいらしい姿ではないか。
以下は鉱石運搬の機関車
屋根つきでペイントもされ、保存されているが、
使われている部品も特殊であるし、
再び動かすには至難の業であろう。
イギリスのようにNPOが動態保存をするような環境が
資金面、安全保安の面で日本はまだ成熟していないのか
残念である。
1円電車の寄付を募っているので、早速することにした。
興味ある方はこちらへ
http://www.fureai-net.tv/akenobesizen/
そのあと坑道探検で、明延鉱山の坑道に入る。
かつて鉱山で働いていた方が案内人である。
ここの坑道は、営業当時の姿で坑道が見れるのが、
他の、観光鉱山と違うところだ。
内部はトロッコの軌道が縦横に走り
作業機械も残されている。
映画インディジョーンズの鉱山トロッコの場面や
天空の城ラピュタの冒頭の鉱山を思い出す。
坑道の大半は地下水で水没してしまっているが
当時のまま残されているのが、ここのすごいところだ。
地上部は、主要な建物は、ほとんどなくなくなって、繁栄の跡形はほとんどない。
明延の中心部、選鉱所とボタの跡
鉱石を持ち上げたインクラインがかろうじて残る。
ここから神子畑へ明神電車(1円電車)が走っていた。
比較的保存のよい、第1浴場
更地になっている病院跡
廃墟と化した共同住宅跡
鉱山労働者の記念碑が控えめに建ててある。
鉱山は日本では鹿児島の菱刈金山のみとなったが
日本の近代化を支えたこのような鉱山跡は、
歴史遺産としてもっと大切に保全していくべきだと思う。
明延は平成19年に近代化産業遺産の指定を受けている。
それに従業員も1円で乗車していた。
昭和58年に乗れる機会があったが、
その後、閉山となり、果たせないままであった。
今回、その1円電車を動態保存しているので行くことにした。
明延郵便局前の広場に軌道が敷かれてあって、
バッテリーカーでかつての客車?を牽引している。
当時のものは、くろがね号と呼ばれる客車のほうである。
バッテリーカーは牽引車として新調購入したもの。
早速、1円を払って、(100円を払い99円は寄付)乗ってみる。
内部はこんな感じである。
広さは20人も乗ればいいほうではないだろうか。
本日は特別イベントで、1円電車の本を出版した、
岡本憲之氏の講演がある。
氏はナローゲージをジャンルにする鉄オタというか、
なんと、それを職業にされているつわものである。
興味深く拝聴する。
話の詳しくは本でということで、岡本氏に敬意を表しPRしておく。
くろがね号のほかにも しろがね号、あかがね号
わかば、がなどあったようだ。
いくつかはこのように残されている。
なんともかわいらしい姿ではないか。
以下は鉱石運搬の機関車
屋根つきでペイントもされ、保存されているが、
使われている部品も特殊であるし、
再び動かすには至難の業であろう。
イギリスのようにNPOが動態保存をするような環境が
資金面、安全保安の面で日本はまだ成熟していないのか
残念である。
1円電車の寄付を募っているので、早速することにした。
興味ある方はこちらへ
http://www.fureai-net.tv/akenobesizen/
そのあと坑道探検で、明延鉱山の坑道に入る。
かつて鉱山で働いていた方が案内人である。
ここの坑道は、営業当時の姿で坑道が見れるのが、
他の、観光鉱山と違うところだ。
内部はトロッコの軌道が縦横に走り
作業機械も残されている。
映画インディジョーンズの鉱山トロッコの場面や
天空の城ラピュタの冒頭の鉱山を思い出す。
坑道の大半は地下水で水没してしまっているが
当時のまま残されているのが、ここのすごいところだ。
地上部は、主要な建物は、ほとんどなくなくなって、繁栄の跡形はほとんどない。
明延の中心部、選鉱所とボタの跡
鉱石を持ち上げたインクラインがかろうじて残る。
ここから神子畑へ明神電車(1円電車)が走っていた。
比較的保存のよい、第1浴場
更地になっている病院跡
廃墟と化した共同住宅跡
鉱山労働者の記念碑が控えめに建ててある。
鉱山は日本では鹿児島の菱刈金山のみとなったが
日本の近代化を支えたこのような鉱山跡は、
歴史遺産としてもっと大切に保全していくべきだと思う。
明延は平成19年に近代化産業遺産の指定を受けている。
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