「飛燕」を見に行く (川崎重工 飛燕レストアプロジェクト)

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ポートターミナルで「飛燕」を展示しているので見に行く。
実は、私の父は陸軍の整備隊に配属され、昭和18年から終戦まで飛燕を整備していた。
そして、復員後、川崎重工に勤めていた。
今年、その父の17回忌があったが、川崎重工が120周年記念行事として、
「飛燕レストアプロジェクト」を行ったというのは、何か因縁を感じざるを得ない。


2日目ということもあり会場は大勢の人が来ている。
エンジンのそばに、スタッフジャンバーを着ている人がいたので、
父の話をすると、「もし、生きておられたら、いろいろと聞きたいことがいっぱいあります。」と言う。
実は修復するにも文献があまりなくわからないことだらけらしい。

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エンジンは、1台しか現存しないため、分解すらできなく、
そのまま置いておくしかないのだという。
「何か聞いていることはありませんか。」とスタッフが訊ねる。

私が父から聞かされた飛燕のことは、

過給機を積んでいるので高高度まで飛行できる。
過給機のオリジナルが展示
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液冷エンジンなので銃撃されたとき、そこが弱点となる。
冷却器の取扱説明
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風防はセルロイドでできているので火に弱い。

特攻を送り出したときは、つらかった。
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それぐらいだ。
まだ私も十分大人になっていなかったし、
父もあまり多くを語ろうとはしなかった。


何か目頭が熱くなった。


操縦室の計器パネル。
計器のいくつかは欠損していて今回、復元したという。
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もう20年ほど早かったら、どんなに父は喜んだろうか。
そして、どれほど多くのことが復元作業に役だったろうか。

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父の遺品の整理中に見つけた戦歴のメモをあえてアーカイブしておく。
どこかで役に立つかもしれない。


昭和17年3月1日 宮崎県第9航空隊入隊 西部101部隊

昭和17年9月1日 幹部候補生として、福生飛行整備学校へ

昭和18年10月1日 少尉任官

西部101部隊より、松江を経て、
北朝鮮 咸興市外 連浦飛行場にて、新たに部隊編成
京城郊外 金浦飛行場にて新たに「第2錬成飛行隊」として発足

整備隊を総括

専攻機種の重爆撃機より戦闘機(飛燕)に機種変更され
「金浦」を本拠とし、群山飛行場、水原飛行場を移動
その間、多くの特攻隊を南方に送る。

昭和19年11月3日
特に「靖国隊」と命名された、出丸中尉以下12名の将兵が群山を出発したことは忘れられない。

昭和20年 中尉任官

昭和20年8月15日 敗戦

昭和20年10月 水原飛行場にて武装解除、のち釜山港へ











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高木 晃治

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