「旧陸軍第11師団」の遺構を訪ねる(善通寺市)
このたび、空海の生地を目的に善通寺を訪ねたが、調べていると、旧陸軍第11師団の遺構がかなり残っていることがわかった。
そこでいくつかを見に行くことにした。
今も陸上自衛隊が駐屯していて、師団司令部があったところが「乃木館」という名で資料館として公開されている。
陸軍第11師団司令部
ここは事前に電話で申し込んでおけば、見学が可能である。
正門で守衛さんに申し出て、中に入るとカイズカイブキの並木の奥に司令部の建物が見える。
外観はかなり傷んでいるが、ちゃんと陸軍の五芒星が掲げてあり、いかにも当時の面影を残している。
入口で自衛官に案内され館内を見せていただく。
1階は自衛隊音楽隊の事務所として使われていて、2階が資料室となっている。
木造の階段と手すり
すべて木造で、質素な造りである。これは、初代師団長であった乃木希典(のぎまれすけ)の意向による。
師団長執務室と執務机 当時のもの
師団長の執務椅子 右の小さな椅子が実際に乃木希典が座っていたものが残っている。
乃木希典は装美を好まなかったが、これだけはとつけさせたという、菊の紋章が天井の四隅に残る。
資料は、第11師団の歴史と日露戦争関係のものが展示されているが、正式な博物館でないから煩雑である。
しかし、資料としては面白いもの多い。
これは乃木師団長直筆の師団定宿の看板
四国における大隊司令部は、松山でもなく高松でもなく、ここ善通寺なのである。
思うに、善通寺は、空海という、古代から中世の橋渡しをし、国家をサポートしたものの生地であり、地形的に背後に山を控え、谷があり、平地がかなりあり、水にも困らない。やはり風水的にもいい場所でないかと思う。
そこに、初代師団長が乃木希典である。これもある意味、近代日本を救った男である。
善通寺はそんなところなのかと考えながら乃木館を後にする。
建物は残念ながら老朽化が激しい。ぜひ防衛費の一部を回して補修してほしいものである。
カイズカイブキの並木のいわれが説明してある。
中庭には現役を退いた兵器が展示されている。
司令部跡の石碑
陸軍第11師団兵器庫
旧司令部の目の前は、現役の自衛隊駐屯地がある。
その中に「第11師団兵器庫」の建物がそっくり残っていて、現役で使われている。
2棟が道路際に直列に並び、敷地内の奥にも同じ規模のものが1棟あるようだ。
残念ながら、基地内なので中には入れないが、外周からその美しさは十分に見ることができる。
特に道路際に2棟が直線的に見渡せるのは壮観である。
やはり、現役で使われているものはメンテナンスもされて美しい。
陸軍第11師団兵舎群
次は「旧陸軍第11師団兵舎群」である。
四国学園大学のキャンパス内に現役の校舎として、2棟が残されている。
大学構内なので、許可を得て入る。
第11師団騎兵隊兵舎
もとは、時計のあるところに陸軍の五芒星マークがあり、ギリシャ風列柱は後で改変されたものという。
しかし、窓などは当時の面影を十分残している。
玄関を入ったところ。
板張りの壁が当時を思わせる。
なぜか、正面に「受胎告知」の絵が飾ってあってもいいような雰囲気がする。
いかにも実務的な廊下
第11師団騎兵隊本部
キャンパスの広い芝生の向こうにポツンと残されている。
キャンパスではホワイトハウスと呼ばれている。
近くで見ると改変されているところが目につくが、遠くから見ると当時を思わせる雰囲気がある。
シンメトリーな外観が美しい。
キャンパスという平和な空間で、これからも若い世代に戦争を語り継ぐ建物としてあってほしい。
善通寺偕行社
最後は「善通寺偕行社」である。
偕行社は、陸軍将校の親睦団体でその社交場として使用された建物である。
現在は、善通寺市役所の構内にあり、カフェが併設された会館として現役である。
広い社交場。ここでどのような会がもようされていたのだろう。
昭和天皇が皇太子時代に、大演習視察の際に宿泊した部屋
基礎はレンガであるが、上部は木造漆喰モルタル構造である。
内部構造がわかるように一部壁をくり抜いている。
あと建物は残っていないが、師団の痕跡を示す石碑がいくつかある。
輜重隊跡
善通寺郵便局前にある石碑。
「輜重隊」とはあまり聞きなれない単語だが「しちょうたい」と読む。
輜重(しちょう)とは軍隊に関係する物品、軍需品のことで、ひいてはその輸送をする兵科のことである。
広義に言えば「兵站」、英語でいえば、Logistics にあたる。
戦争において、前線に物資を供給する重要な役目でありながら、日本帝国陸軍はあまり重要視していなかったようである。
騎兵聯隊跡
市役所近くにある石碑。
「きへいれんたい」と読む。
現代表記では聯隊は連隊と書く。
他にも遺構がかなりありそうだが、時間もあまりなく、善通寺を後にする。
乃木館を案内していただいた自衛官と別れ際に少し話したが、「戦争をしに行くための兵力でなく、日本を外敵から守り抜く兵力はやはり必要ではないか」と思った。
今回、空海の生地探訪を目的としていたが、意外にも乃木希典の生涯や第11師団の遺構に巡り合えたことはありがたかった。
これも空海の導きかと思ったりした。
そこでいくつかを見に行くことにした。
今も陸上自衛隊が駐屯していて、師団司令部があったところが「乃木館」という名で資料館として公開されている。
陸軍第11師団司令部
ここは事前に電話で申し込んでおけば、見学が可能である。
正門で守衛さんに申し出て、中に入るとカイズカイブキの並木の奥に司令部の建物が見える。
外観はかなり傷んでいるが、ちゃんと陸軍の五芒星が掲げてあり、いかにも当時の面影を残している。
入口で自衛官に案内され館内を見せていただく。
1階は自衛隊音楽隊の事務所として使われていて、2階が資料室となっている。
木造の階段と手すり
すべて木造で、質素な造りである。これは、初代師団長であった乃木希典(のぎまれすけ)の意向による。
師団長執務室と執務机 当時のもの
師団長の執務椅子 右の小さな椅子が実際に乃木希典が座っていたものが残っている。
乃木希典は装美を好まなかったが、これだけはとつけさせたという、菊の紋章が天井の四隅に残る。
資料は、第11師団の歴史と日露戦争関係のものが展示されているが、正式な博物館でないから煩雑である。
しかし、資料としては面白いもの多い。
これは乃木師団長直筆の師団定宿の看板
四国における大隊司令部は、松山でもなく高松でもなく、ここ善通寺なのである。
思うに、善通寺は、空海という、古代から中世の橋渡しをし、国家をサポートしたものの生地であり、地形的に背後に山を控え、谷があり、平地がかなりあり、水にも困らない。やはり風水的にもいい場所でないかと思う。
そこに、初代師団長が乃木希典である。これもある意味、近代日本を救った男である。
善通寺はそんなところなのかと考えながら乃木館を後にする。
建物は残念ながら老朽化が激しい。ぜひ防衛費の一部を回して補修してほしいものである。
カイズカイブキの並木のいわれが説明してある。
中庭には現役を退いた兵器が展示されている。
司令部跡の石碑
陸軍第11師団兵器庫
旧司令部の目の前は、現役の自衛隊駐屯地がある。
その中に「第11師団兵器庫」の建物がそっくり残っていて、現役で使われている。
2棟が道路際に直列に並び、敷地内の奥にも同じ規模のものが1棟あるようだ。
残念ながら、基地内なので中には入れないが、外周からその美しさは十分に見ることができる。
特に道路際に2棟が直線的に見渡せるのは壮観である。
やはり、現役で使われているものはメンテナンスもされて美しい。
陸軍第11師団兵舎群
次は「旧陸軍第11師団兵舎群」である。
四国学園大学のキャンパス内に現役の校舎として、2棟が残されている。
大学構内なので、許可を得て入る。
第11師団騎兵隊兵舎
もとは、時計のあるところに陸軍の五芒星マークがあり、ギリシャ風列柱は後で改変されたものという。
しかし、窓などは当時の面影を十分残している。
玄関を入ったところ。
板張りの壁が当時を思わせる。
なぜか、正面に「受胎告知」の絵が飾ってあってもいいような雰囲気がする。
いかにも実務的な廊下
第11師団騎兵隊本部
キャンパスの広い芝生の向こうにポツンと残されている。
キャンパスではホワイトハウスと呼ばれている。
近くで見ると改変されているところが目につくが、遠くから見ると当時を思わせる雰囲気がある。
シンメトリーな外観が美しい。
キャンパスという平和な空間で、これからも若い世代に戦争を語り継ぐ建物としてあってほしい。
善通寺偕行社
最後は「善通寺偕行社」である。
偕行社は、陸軍将校の親睦団体でその社交場として使用された建物である。
現在は、善通寺市役所の構内にあり、カフェが併設された会館として現役である。
広い社交場。ここでどのような会がもようされていたのだろう。
昭和天皇が皇太子時代に、大演習視察の際に宿泊した部屋
基礎はレンガであるが、上部は木造漆喰モルタル構造である。
内部構造がわかるように一部壁をくり抜いている。
あと建物は残っていないが、師団の痕跡を示す石碑がいくつかある。
輜重隊跡
善通寺郵便局前にある石碑。
「輜重隊」とはあまり聞きなれない単語だが「しちょうたい」と読む。
輜重(しちょう)とは軍隊に関係する物品、軍需品のことで、ひいてはその輸送をする兵科のことである。
広義に言えば「兵站」、英語でいえば、Logistics にあたる。
戦争において、前線に物資を供給する重要な役目でありながら、日本帝国陸軍はあまり重要視していなかったようである。
騎兵聯隊跡
市役所近くにある石碑。
「きへいれんたい」と読む。
現代表記では聯隊は連隊と書く。
他にも遺構がかなりありそうだが、時間もあまりなく、善通寺を後にする。
乃木館を案内していただいた自衛官と別れ際に少し話したが、「戦争をしに行くための兵力でなく、日本を外敵から守り抜く兵力はやはり必要ではないか」と思った。
今回、空海の生地探訪を目的としていたが、意外にも乃木希典の生涯や第11師団の遺構に巡り合えたことはありがたかった。
これも空海の導きかと思ったりした。
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