根府川の海 (2022 相模・安房 黒潮紀行)
今回の旅の目的の1つである根府川駅に降り立つ。
予想通りの美しい駅だ。
目の前には相模の海が広がる。
ホームの木造の屋根。
画廊の絵のような階段の窓。
跨線橋の階段の窓からは、相模の海が絵のように見える。
跨線橋を渡る。
振り返って見る。
青い相模の海と跨線橋の水色がよく似合っている。
跨線橋は二期に分けて建造されたようで手前と向こう側で構造が違っている。
駅舎を通して海を見る。
昇降客がいなくなった暗い待合に座り、明るい相模の海を眺める。
そして、僕をここへいざなった詩を思い浮かべる。
根府川の海
茨木のり子
根府川
東海道の小駅
赤いカンナの咲いている駅
たっぷり栄養のある
大きな花の向うに
いつもまっさおな海がひろがっていた
中尉との恋の話をきかされながら
友と二人ここを通ったことがあった
溢れるような青春を
リュックにつめこみ
動員令をポケットに
ゆられていったこともある
燃えさかる東京をあとに
ネーブルの花の白かったふるさとへ
たどりつくときも
あなたは在った
丈高いカンナの花よ
おだやかな相模の海よ
沖に光る波のひとひら
ああそんなかがやきに似た
十代の歳月
風船のように消えた
無知で純粋で徒労だった歳月
うしなわれたたった一つの海賊箱
ほっそりと
蒼く
国を抱きしめて
眉をあげていた
菜ッパ服時代の小さいあたしを
根府川の海よ
忘れはしないだろう?
女の年輪をましながら
ふたたび私は通過する
あれから八年
ひたすらに不敵なこころを育て
海よ
あなたのように
あらぬ方を眺めながら……。
僕はまたいつか思い出すだろう。
ある詩人が七十年も前の夏に、見た風景のことを。
そして、この夏、普通列車を乗り継いで降り立った、小さな駅のことを。

茨木のり子詩集 (岩波文庫) - 谷川 俊太郎

茨木のり子全詩集 - 茨木 のり子, 治, 宮崎
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