「布良海岸」の切り通しの道 (2022 相模・安房 黒潮紀行)
ずっと昔、まだ高校生の夏休みが終わるころ。
深夜放送だったと思う。
詩の朗読があって、その詩はうろ覚えだったが、なぜか印象に残り、
「夏の終わりの海で一人で泳いで、切り通しの道を帰りながら、私の夏が終わった」
という内容だった。
海岸の名は「めら」
まだ、インターネットもグーグルもない時代。
誰の詩なのか?
どこにある海岸なのか?
ずっと引っかかったままだった。
あれから何十年も経ってしまった。
その詩は、高田敏子の「布良海岸」
やっと、その場所に来ることができた。

布良海岸
高田 敏子
この夏の一日
房総半島の突端 布良の海に泳いだ
それは人影のない岩鼻
沐浴のようなひとり泳ぎであったが
よせる波は
私の体を滑らかに洗い ほてらせていった

岩かげで 水着をぬぎ 体をふくと
私の夏は終わっていた
切り通しの道を帰りながら
ふとふりむいた岩鼻のあたりには
海女が四五人 波しぶきをあびて立ち
私がひそかにぬけてきた夏の日が
その上にだけかがやいていた。

そう、あの詩と同じ切り通しの道だ。
何変哲もない道だけど、ただこの風景を見たくてやってきたのだ。
ここに来る前、高田敏子全詩集を読んだ。
この詩が発表されたのは、詩人が53歳の時。
その詩人が、再び私に語りかける。
切り通しの道を帰りながら
ふとふりむいた岩鼻のあたりには
海女が四五人 波しぶきをあびて立ち
私がひそかにぬけてきた夏の日が
その上にだけかがやいていた。
海岸を去る時、海岸はまるで詩人が用意してくれたような光になった。

深夜放送だったと思う。
詩の朗読があって、その詩はうろ覚えだったが、なぜか印象に残り、
「夏の終わりの海で一人で泳いで、切り通しの道を帰りながら、私の夏が終わった」
という内容だった。
海岸の名は「めら」
まだ、インターネットもグーグルもない時代。
誰の詩なのか?
どこにある海岸なのか?
ずっと引っかかったままだった。
あれから何十年も経ってしまった。
その詩は、高田敏子の「布良海岸」
やっと、その場所に来ることができた。
布良海岸
高田 敏子
この夏の一日
房総半島の突端 布良の海に泳いだ
それは人影のない岩鼻
沐浴のようなひとり泳ぎであったが
よせる波は
私の体を滑らかに洗い ほてらせていった
岩かげで 水着をぬぎ 体をふくと
私の夏は終わっていた
切り通しの道を帰りながら
ふとふりむいた岩鼻のあたりには
海女が四五人 波しぶきをあびて立ち
私がひそかにぬけてきた夏の日が
その上にだけかがやいていた。
そう、あの詩と同じ切り通しの道だ。
何変哲もない道だけど、ただこの風景を見たくてやってきたのだ。
ここに来る前、高田敏子全詩集を読んだ。
この詩が発表されたのは、詩人が53歳の時。
その詩人が、再び私に語りかける。
切り通しの道を帰りながら
ふとふりむいた岩鼻のあたりには
海女が四五人 波しぶきをあびて立ち
私がひそかにぬけてきた夏の日が
その上にだけかがやいていた。
海岸を去る時、海岸はまるで詩人が用意してくれたような光になった。
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