神長官守矢資料館・御頭御社宮司(おんとうミシャグチ)総社(2022 諏訪縄文紀行 3)

守矢家は76代にわたり一子相伝の口伝えにより、古代から諏訪大社の神事を伝えてきた。
その祖は、この地の洩屋神を長とする先住民に行き着くという。

そういった意味でここは今回の旅のスタート地点でありメインでもある。



幹線道路から奥まったところに、守矢資料館はある。
もともと守矢家代々の屋敷である。
今でも、たぶん敷地内に子孫が住まわれているのではないかと思う。
門柱には「守矢」の表札が掲げている。
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入ってすぐ左手に「祈禱殿」がある。
ここに神長官守矢が籠って一子相伝の祈祷を行ってきた重要な場所である。

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その向かいに「守矢資料館」がある。
諏訪出身の建築家 藤森照信氏の設計によるもので、諏訪の古代的な雰囲気が感じられる意匠だと思う

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斜めから見ると、周りにクマザサが植えてあり、板張りと土壁は北海道先住民族の住居のようでもある。

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さて、展示物であるが、入ってすぐの土間の壁には鹿とイノシシの首が20ほど掛かっていて驚いてしまう。

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そばには「ウサギの串刺し」まで飾られている。

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これは、諏訪大社上社の重要な神事「御頭祭」の供え物の復元だそうだ。

今ではこのようなことは行われていないが、江戸時代の記録によると、
3月酉の日に、神と人との饗宴がありその際に鹿の頭が75まな板の上に並べられ、神に奉げられる。
その後、数々の神事が行われるが、今となってはその意味を説明することは難しい。
しかし、農耕社会が訪れる前の、狩猟社会の儀礼には間違いない。


資料室には、古文書が展示されていて、「鹿食免」と呼ばれる諏訪大社のお札が興味をそそった。
これは、仏教により殺生を否むようになったが、諏訪大社は狩猟が大切な祭事となっているので、
それを免ずるお札で、肉食の免罪符でもあり、猟師たちも諏訪講なるもので殺生の罪よけをしたという。




屋敷の高台には御頭御社宮司(おんとうミシャグチ)総社が祀られている。

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関西に住むものにとってはあまりなじみがないが、これこそ、諏訪を中心に一円に広がるミシャグチ神の総社である。
ミシャグチは木や笹、石、生神に降臨する精霊を指していて、それゆえ特に大きな神殿があるわけでもない。


そう理解して、小さな社の前で目を閉じて手を合わせてみる。

そうすると、心地よい風が吹いてきて、ざわざわと周りの木の葉を鳴らす。
ほら、こんなに紙垂(しで)が揺れている。

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ミシャグチの鎮座する高台からは、遠く黒曜石の産地八ヶ岳連峰が望める。
その裾野には縄文の大集落があって、狩猟の場所でもある。

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買い求めた「神長官守矢資料館のしおり」は、
78代当主守矢早苗氏が、祖父から口伝えられた祖先の話が載っており、
時空旅行者にとってなかなか貴重な資料である。

それによると、稲作以前の諏訪盆地には洩矢長者の他に7つ以上の長者が住んでいた。
やがてイズモから侵入したタテオナカタノミコトは諏訪大明神となり、諏訪は中央と繋がり稲作社会へと変遷していく。

しかし、先住民モリヤは、大祝(おおほうり)という生神という地位につき、その声を聞き、神儀を司る神長(じんちょう)の地位についても守矢氏が継承していた。すなわち、この地の信仰と政治の実権はモリヤが持ち続けていた。



裏手には「神長官裏古墳」があり、
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歴代の墓地もある。
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はるか、縄文の時代より延々と一子口伝のみによって受け継がれてきた諏訪の歴史が、今になって中断されてしまったのは、これも歴史の営みであろうとしみじみと思い、守矢資料館を後にする。

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守矢資料館を訪問される際には、ぜひ「神長官守矢資料館のしおり」を求め、
守矢早苗氏が語る「守矢神長家のお話」をお読みになることをお勧めします。


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